成長の伴わない資本主義が生み出す生きづらさ
私は平成生まれの人間である。
つまり経済成長を知らない人間だ。
本来であればライフステージが上がるごとに所得が増え、生活に余裕が出てくるはずである。
しかし体感としては今が一番金銭的に苦しく感じる(大人になり支出が増えたこともあるが)
いま日本では水面下で溜まっていた不満が噴出してきそうな兆しを感じている。
巷では富士山の噴火が大地震により起こるのではないか?との話もあるが、国民の怒りが噴出するのとどちらが先に起きるのだろうか?
資本主義が生み出す生きづらさ
資本主義はクソである。
より厳密にいえば成長しない資本主義であるがクソなものはクソである。
・資本家・経営者は賃金を人質に取り、労働者としてリソース(時間・体力・能力)を提供することを強制している。
・経済的な価値を生み出さないものは切り捨てられ、歴史的価値・文化的価値を軽視する。
人心を踏みにじるという点において共産主義と何が違うのだろうか?
これが経済成長しない時代に生まれた私のマインドセットである。
この社会に対する疑問
私は幼いころから探究心のある子供であったが、主にその探究心は2方向に向いていた。
1つはなぜ自分はこのようになったのかという内側への探究。
もう1つは私に影響をもたらす社会への探究である。
社会に上手く馴染めない、社会の潮流に常に疑問を抱く私は何かおかしいのではないか?と常に問い続けてきた。
しかし結局はおかしいのは社会であり、そこになんの疑問もなく順応する人間であるという結論に帰着するだけだった。
私と同じような考えを持つ人がどれくらいいるのか?それは分からない。
しかし1つ確信を持って言えることは、この社会で疲弊してしまうのは当然であり、社会構造の問題なのであなたは悪くないということだ。
私達はそれでも生きていくしかない。
このサバンナでオアシスを見つけるために足掻くのか?
俗世を離れひっそりと暮らす道を選ぶのか?
社会を変えようと何か行動を起こすのか?
何かを選択しなければ現状が続いていくだけだ。
私は私を変えるつもりなど1mmもない。
これからも社会とは距離を取り、社会に染まらぬよう抵抗し続けようと心に決めた夏の一日だった。
最後に
この記事が個人がどのように生きていくのかを考える契機になればよいと思っている。
誤解されない様に書いておきたい。
政治的な主張をしたつもりは全くない。
社会不安をもたらすつもりもない。
私が欲するのはただ一つ 心の平穏 である。
コメント